バリ島について

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儀式の準備をするバンジャールの女性たち
儀式の準備をするバンジャール
の女性たち

バリ島の地域社会では、バリ・ヒンドゥーに基づく独特な慣習様式(アダット)に従った生活が営まれており、 オランダ植民地化以後も近代行政(ディナス)と併存するかたちで続いている。 21世紀に入ってもなお、バンジャールやデサと呼ばれる地域コミュニティをベースとして、さまざまな労働作業(ゴトン・ロヨン)や宗教儀礼が共同で執り行われており、 バンジャールからの追放は「死」に等しいとまでされているほどである。

葬儀の行列
葬儀の行列

また、バリの人びとは、特定の目的ごとに「スカ」ないし「スカハ」と呼ばれるグループを形成して対応することが多い。 たとえば、ガムラン演奏団、青年団、舞踊団、自警団、合唱団といった具合に、スカはときにバンジャールを超えて形成され、 多くはバンジャールと異なり加入・脱退が自由である。こうしたありようをギアツは「多元的集団性」と呼んでいる。

このスカの組織化パターンのために、バリの村落社会構造に、極めて集合的でありながらも奇妙なまでに複雑で柔軟なパターンが生まれている。 バリの人びとが何かをする場合、それがひどく単純な作業であっても、集団をつくる。 実際のところ、この集団には、マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンが指摘したように、ほとんど常に技術的に必要な数をはるかに上回る人員が集まる。 混雑し、賑わい、いくぶん乱雑であわただしい社会環境の創出は、最も基礎的な仕事でさえ、その遂行のために必要であるように思われる。 重要な社会的活動へのアリにも似た取り組み方(バリ人自身は苦笑いを浮かべながらこのことをベベック・ベベカン〔「アヒルのよう」〕と表現する)は、 いかなる集団にも一つの目的に向かう傾向がみられ、逆説的にも、多元的集団性とでも呼びうるものに導く。

このように、人びとはバンジャールなどの地域組織に属することで小さい頃から隣人との助け合いの心を身につけており、喧嘩を好まない。 このような背景もあって、住民の性格は非常に温厚である。

宗教

日々のお供え物
日々のお供え物

「神々の島」とも形容されるバリ島では、人びとのおよそ90%が、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教の習合によって成り立つバリ・ヒンドゥーと呼ばれる信仰を奉じている。 バリの慣習村(デサ・アダット)では、土地や祖先神への信仰が生きており、人びとはデサ・アダットの土地を清浄に保ち、 穢れを避ける義務を負っている。このために、古くからの慣習(アダット)もかなり色濃く残されており、店や家の前には毎朝チャナンと呼ばれるお供え物をするなど、 宗教的な活動に多くの時間が使われ、したがって、バリ島では毎日、島のどこかで祭りが行われているのである。 バリ人は祭りごとが大好きであるとの話がよく耳にされるが、バリ人にとってのお祭り(ウパチャラ)とはあくまで以上のような宗教的な儀式なのである。 こうした背景から、バリ人は非常に精神的に満足した者が多いといわれる。

また、バリ・ヒンドゥーの世界観は方角によっても支えられている。とりわけ重要なのが「カジャ」(山側)と「クロッド」(海側)の組み合わせである。 カジャとクロッドの対比は、上と下、優と劣、清浄と不浄といった象徴的価値観と密接につながっており、寺院の位置や葬儀の場所、屋敷の構造などが、この対比に従って決められている。 また、この秩序観から、人の頭を触ったり頭の上に手をかざすことや、左手で金銭を扱ったり食事をすることがタブーとされている。

このようにバリ島はバリ・ヒンドゥーのコスモロジーに根ざした世界が広がっているが、1990年代以降、ジャワ島を中心として数多くの人びとが、 観光産業での労働従事を目的として移り住み始めるようになっており、イスラム教徒が急増している。

言語

伝統的な言語としてバリ語が存在し、多くの人びとはバリ語を用いてきたが、公式的にはインドネシアの公用語であるインドネシア語が用いられたり、 学校教育や主要マス・メディアもインドネシア語が利用されている。都市部ではインドネシア語を主として用いる層も増えている。

ただし、2000年代からの地方分権化を背景としたバリ文化再興の運動(アジェグ・バリ)の一環として、義務教育でバリ文字が教えられるようになっている。 そして、2006年からはバリ・ポストから「オルティ・バリ」というバリ語の新聞が週刊で復刊され、バリの文芸作家たちが作品を発表していたり、 バリ語のラジオ放送が盛んになったり、バリ語のポップ歌謡も流行りだしている。

技能実習移行対象職種